絵を飾る*インテリアに美術館公認、複製画を超えた再現画アルテ・キアラ

ルノワール特集 Pierre-Auguste Renoir

19世紀印象派の中で唯一人物表現に力を注いだ画家として知られる、ルノワール。多くの肖像画、特に女性の曲線の優美さと子どもたちのいきいきとした表情を描き残し、今もなお私達の目に優しく語りかけてくれます。そのやわらかなタッチから、画家の溢れるばかりの愛情が伝わってくるかのよう・・・。こちらでは、ルノワールについて少しでもご紹介できれば幸いです。

ルノワール、画家のあゆみ

ルノワール、画家のあゆみ

ピエール・オーギュスト・ルノワールは、1841年、リモージュ焼きで有名なフランスのリモージュで仕立て屋の家に生まれました。3歳の時、一家でパリに移住し、ルーヴル美術館に近い都心に移り住みました。幼い頃のルノワールはその美声から、作曲家のシャルル・グノーからオペラ座の合唱団に入るよう誘いがあったというエピソードもありますが、人前に出ることが嫌いだった上に、夢だった磁器リモージュの仕事場で徒弟に雇うとの申し出が来て、絵付け職人の道に進みます。5年間の修業でルノワールは次第に才能を開かせ、その頃からルーヴル美術館に出掛けるのが習慣だったといいます。産業革命によって機械化が進み、ルノワールは絵付けの経験を活かして画家を目指します。1860年、模倣画家として認められ、ルーヴル美術館でルーベンス、ブーシェ、フラゴナールなど宮廷絵画の研究と模写を行います。

1861年、当時最も人気の高かったシャルル・グレールのアトリエに入門し、翌年の1862年にはエコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学します。グレールのアトリエでは、後に印象派の代表となるモネ、シスレー、バジールと出会います。

ルノワール、画家のあゆみ

キャンバスの前に座っているのは印象派の父、マネ。その後ろで帽子をかぶりマネの絵をじっと見つめている青年がルノワール。その右隣は作家のゾラ。その横でこちらに視線を向けているのはモネ。そしてその隣に横顔を見せて立っている長身の男性がバジール。

ルノワールは1864年のサロン・ド・パリに出品し、初入選。この頃の作品は、アングル、ルーベンス、ドラクロワなど様々な画家の影響が指摘されています。

1873年、後に「印象派」と呼ばれるグループの画家たちが「芸術家、画家、彫刻家、版画家その他による匿名協会」を結成し、ルノワールも参加。1874年、パリ、キャピュシーヌ大通りにある写真家ナダールのアトリエでこのグループの第1回展を開催。これが後「第1回印象派展」と呼ばれるもので、ルノワールは《桟敷席》など7点を出品しました。

1876年の第2回印象派展には《ぶらんこ》、《陽光を浴びる裸婦》など15点を出品した。後者は今日ではルノワールの代表作として知られるものですが、当時は酷評された。1877年の第3回印象派展には、前年に完成した大作《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》を含む22点を出品しました。

《ぶらんこ》
《ぶらんこ》

《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》
《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》

1878年には、サロン・ド・パリに出品を再開し、翌年に出品した《シャルパンティエ夫人と子どもたち》は絶賛を浴びました。1881年には大作《舟遊びの人々の昼食》を完成。この作品の左端に描かれる、帽子をかぶり犬を抱く女性は後にルノワール夫人となるアリーヌ・シャリゴで、《田舎のダンス》などの作品に度々モデルとして登場します。

《舟遊びの人々の昼食》
《舟遊びの人々の昼食》

《シャルパンティエ夫と子どもたち》
《シャルパンティエ夫と子どもたち》

《ピアノに寄る少女たち》

《ピアノに寄る少女たち》

少しずつルノワールの描く印象派の絵画が広まっていき、この頃は特に女性らしい曲線が魅力の女性をテーマにした作品は数多く残っています。1892年には、パリのリュクサンブール美術館に収蔵するために、国から依頼を受けて《「ピアノに寄る少女たち》を描きます。ルノワールにとって、フランス政府が初めて買い上げた作品となり、印象派の巨匠の地位を築いていくことになります。

ルノワールの家美術館 Maison Renoir

晩年に描いた《アネモネ》の一つ

晩年に描いた《アネモネ》の一つ

晩年のルノワールは、関節リュウマチに悩まされ、医師に勧められ友人の紹介で南仏のニースに程近い、温暖なカーニュ・シュル・メールに家族で移り住みました。1907年には何度も描いたことのあるコレットの丘の土地を購入し、オリーブの茂る敷地内に自邸を建設します。ルノワールは、車椅子生活を余儀なくされるも、痛みに耐えながらも最後まで精力的に作品を描き続けました。1919年で亡くなったその日もアネモネの絵を描いていたといいます。「この絵で、何かわかり始めたような気がするよ。」という最後の言葉を遺して。

カーニュ=シュル=メール、ルノワールの家美術館

カーニュ=シュル=メール、ルノワールの家美術館

そのカーニュ・シュル・メールの邸宅は、今は美術館として一般に開放され、現在は晩年のルノワールがどのような家で暮らしていたのか、うかがい知ることができる場所となっています。

ルノワールの子孫

ルノワールの絵によくモデルとして登場いた次男のジャンは、後にフランスを代表する映画監督ジャン・ルノワール(1894–1979)で知られることになります。ジャンは、『大いなる幻影』(1937)や『ゲームの規則』(1939)、『フレンチ・カンカン』(1954)など、人間の持つ多様性への深い眼差しに支えられたその作品は高い評価を獲得し、ヌーヴェル・ヴァーグの旗手フランソワ・トリュフォーやジャン=リュック・ゴダールなど後世の映画監督たちに多大な影響を与えました。《ピクニック》では、父オーギュストの絵画的世界が現出したかのような、印象派の絵画を越える美しさにあふれた映画として高い評価を受けています。

東京・渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム < ルノワール+ルノワール展

東京・渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム < ルノワール+ルノワール展 >

画家オーギュスト・ルノワールと監督ジャン・ルノワール。二人の巨匠の作品を交互に紹介し、絵画と映像の魅力に迫った「ルノワール+ルノワール展」は、パリと東京Bunkamuraで大きく反響を呼びました。また、近年の映画『ルノワール 陽だまりの裸婦』で晩年のルノワールと監督になる前のジャンを描いた父子のドラマは、ルノワールの曾孫で、写真家としても活躍するジャック・ルノワールが執筆した画家ルノワールの伝記小説が原作となっています。そうしてルノワールの表現する才能は3代に渡り受け継がれていくのでした。

ルノワールの作品は、空間に柔らかな印象を与えてくれ、優しさと幸せをもたらしてくれることでしょう。

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