絵を飾る*インテリアに美術館公認、複製画を超えた再現画アルテ・キアラ

モンドリアン特集 Mondrian

モンドリアン特集

《赤・青・黄・灰の菱形のコンポジション》
ワシントンナショナルギャラリー

垂直線と水平線で区分された平面が赤、青、黄など原色で彩られた作品で名高いピエト・モンドリアン(1872-1944)。ワシリー・カンディンスキーと並び、本格的な抽象絵画を描いた初期の画家とされ、20世紀芸術のうねりが起こっていた流れの中で活躍した先駆者の一人です。モンドリアンは絵画にとどまらず、建築、工業デザイン、タイポグラフィー、ファッション、グラフィックなど様々な分野で影響を及ぼしました。中には、ファッションデザイナーのイヴ・サンローランやミッフィーの作者ディック・ブルーナなどの名も連なります。

モンドリアンの画家としてのあゆみ

モンドリアンの画家としてのあゆみ

ピエト・モンドリアン、54歳の頃

モンドリアンは1872年、オランダのアーメルスフォールトに生まれました。アマチュア画家だった父親や伯父の手ほどきもあって小さい頃から絵に親しんできた彼は、20歳の時からアムステルダム国立美術アカデミーで伝統的な美術教育を受けました。最初は風景画や静物画などでゴッホやスーラを真似たり、自らの画風を確立すべく模索を続けました。転機が訪れたのは、1911年にアムステルダムで開催された39歳の時に見た展覧会。パリからやってきたキュビスムの作品に接したことがきっかけで、ピカソやブラックが活躍していたパリへ行くことを決心します。この時モンドリアンは40歳で、1912年から1914年までのパリ滞在期間に抽象画への志向を強めていきました。

《赤いアマリリスと青の背景》1907、MOMA蔵

《赤いアマリリスと青の背景》1907、MOMA蔵

キュビスムを学んで行くモンドリアンでしたが、やがて目指すものが違っていることに気づき、モンドリアン独自の世界を突き詰めていくことになります。この試行錯誤の時期から、モンドリアンの作品には「コンポジション」の題が付けられるようになりました。とはいえ生活のために植物、特に花の絵を描いては売っていたこともありました。

第一次世界大戦中の1914年から18年にかけてオランダに帰省し、14年には水平線と垂直線を交差させて構成された「プラス・マイナス」と呼ばれる作風に行き着きました。極限まで幾何学化・単純化された海と埠頭の絵から、一切の事物の形態から離れた抽象絵画への移行が起こります。

《埠頭と海(コンポジションNo.10)》、クレラー=ミュラー国立美術館蔵

《埠頭と海(コンポジションNo.10)》
クレラー=ミュラー国立美術館蔵

《コンポジションNo.10(埠頭と海)》でモンドリアンは、自然の情景を抽象的な線の世界に還元している。画面に規則的に配された線は、波のリズミカルな動きを思わせる。上に向かって網の目が詰まっているのがおぼろげに水平線を感じさせ、下方で強調される垂直線は海に屹立する突堤を連想させる。(『MONDRIAN』Taschen出版より)

そしてモンドリアンは、ヨーロッパの絵画、建築、デザインに影響を与えたデ・スタイル派の創始を担います。

雑誌『デ・スタイル(De Stijl))』

雑誌『デ・スタイル(De Stijl))』

1917年には画家・建築家のドゥースブルフらともに芸術雑誌『デ・スタイル(De Stijl))』を創刊します。彼ら抽象派芸術家たちは、新世界を築くために画家、彫刻家、建築家たちが協力して制作をすべきだと信じていました。宇宙の法則に従って、人々が良好なバランスの中で生きられる世界を彼らは理想とし、その哲学を表現するには単純で分かりやすい形が必要だと考えました。余分なものを一切排除し、色彩と線の純粋な関係をもとに、普遍的な原理の獲得を目指しました。モンドリアンは独自の美術理論を確立し、それを「ネオ・プラティシズム(新造形主義)」と呼びました。モンドリアンの直感と洞察に基づいた当時普遍的とされたビジョンは、規則正しい均衡の保たれた美を生み出しています。

《赤・青・黄のコンポジション》、チューリッヒ美術館蔵

《赤・青・黄のコンポジション》
チューリッヒ美術館

1919年には再びパリに戻り、1921年以降約20年近く、これを見れば一目でモンドリアンと分かる、明るい原色を使った新しいスタイルを確立させます。これらは「コンボジション」シリーズとも呼ばれ、最も知られた彼の代表作です。

そして第二次世界大戦の戦火を逃れて1940年に移り住んだニューヨークで、モンドリアンの作品はさらに進化したものになっていきます。

ニューヨークの都市のエネルギーやモダンアートからインスパイアされ、モンドリアンは新たな作品《ニューヨーク・シティ》やジャズ音楽をイメージした《ブロードウェイ・ブギウギ》などを創作しました。ブギウギは当時流行したジャズ音楽で、モンドリアンは好んでジャズを聴いていたといいます。作品はこれまでの基本原理は変わらないものの、黒は使用しなくなり、より明るい線でリズミカルな構成になっていきました。

《ブロードウェイ・ブギウギ》、MOMA

《ブロードウェイ・ブギウギ》、MOMA

1942年には70歳で初の個展をヴァレンタイン・デュウデンシング画廊で開催。それから2年後、肺炎にかかり入院。その数日後、未完の《ビクトリー・ブギウギ》を遺して72歳でこの世を去ります。

絵画以外への影響

モンドリアンは生前も没後も絵画にとどまらず、建築やデザイナー/クリエイター、現代のデザインに至っても実に様々なジャンルで多大な影響を与えます。

家具職人だったヘーリット・リートフェルトは先の芸術運動デ・ステイルに参加し、モンドリアンに感化された一人でした。現代でも人気のあるリートフェルト作の『レッド&ブルーチェア』はまるで三次元のモンドリアン絵画のようで、周囲の空間へ無限の広がりを予感させる椅子です。この椅子が好評を博し、同じ原理を使って住宅を建てようという話まで持ち上がり、これが2000年に世界遺産に登録されたリートフェルトが手掛けた『シュローダー邸』です。

モンドリアンルックとイヴ・サンローラン

モンドリアンルックとイヴ・サンローラン

ファッション界には「モンドリアンルック」というファッション用語があります。モンドリアンが活動の拠点にしていたパリで、1965年に美術コレクターでもあったイヴ・サンローランが発表したワンピースが始まりです。モンドリアンの作品から着想を得てデザインされたこの服は、白地のシンプルなワンピースが黒の水平線と垂直線で分割され、そこに赤・黄色・青の三原色が大胆に配されたものがそれです。「モンドリアンルック」は、現代アートをファッションに取り入れた初の試みとして世界的な注目を集めました。

ブルーボトルコーヒーのモンドリアンケーキ

ブルーボトルコーヒーのモンドリアンケーキ

最近コーヒー界のAppleとも呼ばれ、清澄白河に東京の一号店ができ行列でも話題になった「Blue Bottle Coffee(ブルーボトルコーヒー)」。創業者ジェームズ・フリーマンさんの奥さんでありパティシエのケイトリン・フリーマン(Caitlin Freeman)さんは、サンフランシスコ現代美術館(SFMOMA)に併設する同カフェで企画展に合わせてインスパイアされて作ったモンドリアンケーキを置いたところブレークし、これを表紙に出版した『MODERN ART DESSERTS』も評判です。このレシピを読めば、誰でもモンドリアンケーキが作れるのでしょう。

モンドリアンのある空間。モダンなオフィス、リビングにも映える作品となり、部屋全体がスタイリッシュに見えることでしょう。

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これまで美術館のコレクションは、お部屋に飾りたくてもとうてい手の届かない存在でしたが、歴史に培われた職人文化の秀でるイタリアで、アーカイブ技術と卓越した職人技術の融合により、特別な一点を日常に取り入れられるものになりました。再現画アルテ・キアラでは、飾る壁に合わせたご希望のサイズやご予算などにも応じてオーダーメイドでご注文いただけます

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